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松江城。


■入り口に立ったところ。伸びやかな外観であるが、開口部は殆どない。

松江城
慶長12(1607)年から5年の歳月を費やし堀尾吉晴によって築かれた。寛永15(1638)年からは松平氏が城主となり、一度も戦乱に巻き込まれること無く明治維新を迎えた。山陰地方で唯一天守が現存する。

インドのタージマハル完成が1653年。大体時期が重なる。当時日本では城郭建築が、インドではタージマハルが建設されていた。



■太鼓櫓。城内に時刻や指令を告げる太鼓が置かれていた。部材の接合法としての仕口(垂直方向への接合)や継手(軸方向への接合)、また屋根の組み方(小屋組)が和小屋であることがよくわかる。

松江城境内にあり、興雲閣。明治天皇をお迎えしようという地元の強い要望を受け、御宿所とするため松江市が明治36(1903)年に建設した。日露戦争が起こり、天皇行幸は実現しなかったが、明治40年5月、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の山陰行啓のとき、旅館として使用された。現在は、松江郷土館となっている。

松江城最上階より南側を見る。左側が市中心部、山陰一高い山陰合同銀行本店ビルもみえる。真ん中より右側が宍道湖島根県立美術館や嫁が島が見える。

松江城北側にある明々庵(塩見縄手地区)から見る。


■松江城について
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