もうひとつの旅クラブ
NPO法人もうひとつの旅クラブは、大阪の観光化されていない「もう一つの大阪」を再発見し、自分自身も旅人とともに楽しむことを目的として2002年11月に発足した。筆者は2007年から参加している。大阪を愛するメンバーが知恵と汗を厭わずに「ご来光カフェ」「大阪まち遊学」の企画実施、「北浜テラス」への運営協力など、まち歩きやイベントを通して大阪の魅力を伝えるべく活動している。
氷見へ
活動のひとつに「もうひとつの旅」がある。これは、旅クラブのメンバーが現地を訪ねる研修旅行。2013年以来、瀬戸内国際芸術祭(香川県)、南信州(長野県)、ぶんご大野(大分県)、郡上八幡(岐阜県)を研修先としてきた。5年目となる2017年は、富山県氷見市と富山市に行くことになった。大阪メンバーは北陸新幹線で、東京メンバーは夜行バスで人口5万人の町にそれぞれ向かった。
セイズファーム
高岡からレンタカーで氷見へ。東京メンバーと道中合流し、市街を抜けて、里山をずんずん上っていく。車体の底が擦りそうなほどの深い轍の林道をやっと抜けると、富山湾と氷見市街が展望できる頂に出た。天気が良ければ富山湾からそびえ立つ立山連峰のパノラマが望めそうであり、そこにセイズファーム(SAYS FARM)はあった(図1)。
セイズファームは、地元の老舗魚問屋が休耕地を再生させて2007年に誕生したワイナリー。施設は斜面の段々に沿って配置されている。駐車場より上の段にはレストラン、ショップ、ギャラリー、テラス、ゲストハウスが、下側にはブドウ畑、ヤギやニワトリがいる牧場、ワイナリーがある。ブドウ畑は南面の斜面に沿って段々と続いている。
見学ツアーに参加すると農園スタッフ解説の下、ブドウ畑と醸造施設を案内してくれた。ワインは、100%自社原料のみのブドウで生産しており正に「氷見ワイン」。料理も、ここで育てた野菜、果物、卵、氷見でとれた魚や米を使用している。地産池消である。
みらいエンジン
道の駅氷見(ひみ番屋街)でシロエビのかき揚げや浜汁が入った定食をいただいてから、まちのタマル場へ。ここは、氷見市IJU応援センター「みらいエンジン」である。まちに暮らす人と、移住を考えている人とが出会い、交流できる場であり、しごと探し、住まい探し、なかま探しをサービスしている。㈱地域交流センターが運営しており、氷見市の委託事業である。余談ではあるが、I・J・Uターンのローマ字でつなげると、「移住」と読めるのは偶然なのか。
まちのタマル場自体が、氷見の古民家を利用した施設であるが、氷見の家はとにかく大きい。吹抜けが気持ちいい。聞けば、氷見では昭和13年(1938年)に大火があり、多くの家屋は能登地方から移築してきたそうだ(図2)。
宿泊先の「湯の里いけもり」でも氷見活性化への取り組みを聞いた。若い女将さんが地元の女将たちのネットワークを構築しつつ、インバウンド獲得に奔走している(図3)。
富山へ
氷見から新湊経由で富山へ。富山市はその都市構造を団子と串の構造へ変えていくまちづくりを目指している。串とは一定水準以上のサービスレベルの公共交通のことであり、団子とは串で結ばれた徒歩圏のことである。すなわち、公共交通を活性化させ、その沿線に居住、商業、業務、文化など都市の諸機能を集積させることにより、公共交通を軸とした拠点集中型のコンパクトなまちを実現しようとしている。これを実現する手段のひとつがLRT(次世代型路面電車システム)である。コンパクトシティは、経済発展と環境保全の両立に向けて、郊外への拡大を抑制しつつ、都市の中心部に機能を集約することを目指した都市政策であり、富山は、その先行事例として、パリ、ポートランド、バンクーバー、メルボルンと並び、OECDの報告書に紹介されている。
約7年ぶりに富山市に来てみると、街なかを走るLRT(セントラム)は環状化が完成していた。また、セントラムの富山駅は、JR富山駅ビルの地上階に突っ込む格好となっていた(図4)。訪問当日は雨模様であったが、JRとセントラムが濡れることなく、相互乗車できた。駅の北側にある、もうひとつのLRT(ポートラム)とは、来年度(平成31年度)つながるそうである。LRTに乗って駅ビルをくぐり抜けて南北を行き来する瞬間が楽しみである。
PDF: http://y-f-lab.jp/fukudablog/files/1804machinami_FukudaFinal.pdf