ふくだぶろーぐ

福田知弘の公式ブログです。

都市とITとが出合うところ 第2回 坂本と堅田

大阪府建築士事務所協会誌「まちなみ」で連載中の「都市とITとが出合うところ」第2回。今回は、坂本と堅田滋賀県大津市)を。

PDF: http://y-f-lab.jp/fukudablog/files/1405machinami_FukudaFinal.pdf

都市とITとが出合うところ 第2回 坂本と堅田

近江・坂本へ
再び近江の国へ向かう。今日は大津市の坂本と堅田へ。京都から湖西線に乗り換える。かつて京阪神を走っていた新快速電車117系がホームでお待ちかね。クリームとマルーンのツートーン・カラーの車体は当時のままで懐かしい。山科を過ぎて湖西線に入るとまだ雪が残る比叡山が目に飛び込んできた。大津京駅では手動でドアを開閉するようアナウンス。まだ雪国モード。2つ先の比叡山坂本駅へと向かう。

坂本城
坂本は比叡山に源を発する大宮川や藤木川などが形成した扇状地に位置し、延暦寺日吉大社門前町として栄えた港町である。
比叡山坂本駅に着いた。湖西線の高架下を大津方面に戻る格好で歩き始める。藤ノ木川に出合うと左に折れ、川に沿って歩くと琵琶湖に辿りつく。さらに国道161号を南下すると30分ほどで坂本城跡に着いた。坂本城織田信長による延暦寺焼き討ちの後、坂本と延暦寺とのつながりを断ち切るために明智光秀が築いた水城である。本丸跡は現在民間施設が建っており、すぐそばの坂本城址公園に明智光秀の碑などが建てられているが、何だかひっそりとしている。湖畔に出てみると空が本当に広い(図1)。大津、そして近江富士・三上山が綺麗に見える。

f:id:fukuda040416:20140322103035j:plain

図1 坂本城跡からの眺め

石積みの町
湖畔から坂本の町へはだらだらとした上り坂。無理をせず松ノ馬場駅から京阪石山坂本線に乗り一駅で坂本駅へ。駅を出るや、延暦寺の里坊、神社、民家の石塀に築かれた美しい石垣が目に飛び込んできた。この石垣は、坂本の「穴太」一帯に古来より居住する石工「穴太衆」によるもの。自然のままの石を巧みに用いて積み上げており、自然の美しさを感じさせる(図2)。

f:id:fukuda040416:20140322115320j:plain

図2 穴太衆積み

観光案内所で地図を頂く。既に、重要伝統的建造物群保存地区に指定された「里坊のまち」の中にいるのだ。苔むす石垣と水路を眺めながら日吉馬場を上っていくと日吉大社の鳥居が見えてきた。ここは全国3800余の日吉・日枝・山王神社総本宮。掛け声をかけながら担ぐ神輿のルーツもここらしい。大きな境内のあちらこちらでは写生大会、そして東本宮ではちょうど結婚式の真っ最中(図3)。偶然ながら幸せの空気を頂戴した。

f:id:fukuda040416:20140322114813j:plain

図3 日吉大社東本宮

竹林院近くのお茶屋さんで鴨なんばを頂いてから、延暦寺の本坊、滋賀院門跡へ。延暦寺といえば比叡山の山頂にのみあるものと思っていたが、山の麓にもあったとは。滋賀院跡は、狩野派の障壁画、小堀遠州の庭園が有名であるが、一番驚いたのは「油断大敵」の由来。ここには延暦寺の根本中堂に1200年以上も灯し続けられている不滅の法灯と同じ灯火が置かれている。灯籠を開けてみると確かに炎。菜種油の入った油皿に灯芯を浸して灯しているので、常に油量に気を配っていないと消えてしまうところから「油断大敵」ということわざの発祥となった、と説明された。延暦寺は、世界遺産古都京都の文化財」に登録されているためか「京都のお寺」のイメージが強いが、本坊が坂本にあることや占める面積の大きさからしても「滋賀のお寺」の方が相応しいようだ。

堅田
坂本駅までは一直線の下り。日吉馬場の鳥居をくぐるまでは、琵琶湖の輝きが目に入ってくる。湖西線で坂本から堅田へ。実は坂本駅堅田駅の間には雄琴温泉がある。坂本で3時間しっかり歩いたので、おごと温泉駅で一度降りてみようかと心が揺れたのだが、今日は我慢しておこう。
堅田駅に着いた。思っていた以上に大きな町。駅が完成した40年前は田んぼだらけだったそうだが、京阪神ベッドタウン化が現在も進む。駅から見て琵琶湖側は都市化が進み、山側では区画整理が進む。観光案内所で地図を頂く。当日は堅田全域で100円商店街が開催されていた。100円商店街は、近年、バル・まちゼミなどと並んで、商店街の活性化につながるといわれ全国に広がる取り組みである。堅田駅から5分ほど歩くと堅田内湖が見えてきた。内湖には棒状の柵のようなものが無数に見える。淡水真珠の養殖なのだそうだ。

堅田落雁
堅田地区は琵琶湖湖畔に広がる集落で「湖族の郷」ともいわれる。堅田は琵琶湖で対岸との距離が最も狭くなるところ、すなわち、北湖と南湖との境界に位置する。そのため、中世から湖上交通を支配し、琵琶湖沿岸で最大の自治都市として栄えた。田舟はすっかり少なくなってしまったが、内湖と堅田港を結ぶ水路沿いは往時の風情が残る。
居初氏庭園と茶室「天然図画亭」を訪ねた。かの、小林一茶も足を運ばれたそう。居初氏は1100年を超える家系。米寿を迎えられた29代当主・居初寅夫さんが丁寧に解説してくださった。まず土蔵に展示された絵巻物を見てビックリ。湖畔に巨大な松が描かれており、前号で訪問した唐崎の老松かと思いきや、この庭にあった巨松だそうである。残念ながら80年前に枯れてしまったそうだ。2階には日本最古級の剣道具や刀剣などが置かれていた。そして庭園へ。江戸時代の茶人・藤村庸軒(千宗旦四天王の一人)と地元郷士の北村幽安とが協力して作庭。庭の向こうには琵琶湖や三上山が広がっており、その風景は正に「天然図画亭」。風景を眺めただけで鳥肌が立った。但し、写真は対岸の建物が入らないように工夫して撮影した(図4)。居初さんの悩みは維持管理なのだそうである。

f:id:fukuda040416:20140322143409j:plain

図4 天然図画亭

いよいよ「堅田落雁」の地、浮御堂へ。堅田港から浮御堂へ向かう遊歩道が気持ちいい。いよいよ満月寺・浮御堂に入る。浮御堂は琵琶湖に突出しており、伊吹山長命寺山、鈴鹿山脈、三上山、沖島、比良連峰、比叡山など、ぐるっと見渡せた(図5)。湖面にはカモメとカイツブリ。浮御堂のそばに最近オープンしたカフェレストランへ。古民家を改装したお洒落なインテリア。三上山と浮御堂を眺めながらコーヒーブレイク。

f:id:fukuda040416:20140322152245j:plain

図5 浮御堂

比良暮雪
湖族の郷資料館に立ち寄った後、浜通りを北へひたすら歩き、出島灯台にやってきた。水都大阪を周遊する観光船「アクアライナー」はこの近くの造船所で生まれたそうである。内湖の夕照を眺めつつ堅田駅方面へ。このまま電車に乗って帰ろうかと思ったが、ふと、「比良暮雪」が気になった。確か、井上靖も「比良を望むにおいては、湖畔広しと雖も、堅田に勝る地はなく」と紹介している[1]。何とか電線など人工物ができるだけ見えない視点場で比良山系を眺めようと、うろうろ。遂に区画整理の進む山側までやってきた。丁度、日没間際。山頂付近は雪が残っており、射し込む夕日で白く輝いていた(図6)。

f:id:fukuda040416:20140322173559j:plain

図6 比良残雪

おわりに
前号では2Dのデジタル地図を紹介したが、国土地理院は今年3月に「地理院地図3D」を公開した[2]。国土地理院の地形図を誰もが簡単に日本全国どこでも3次元仮想空間で見ることができるデジタル立体地図である。作成した3D地図データから最近話題の3Dプリンターで立体模型を作成することもできるし、地理院タイル[3]で提供されている主題別画像をオーバーレイさせることもできる。
地理院地図3D」サイトにアクセスして、右上の「3次元でみる」ボタンをクリック。3次元で表示させたい場所を決めて「この地図を3Dで表示」を押すと、その範囲の3D地図が表示される。マウスでドラッグしてグルグルと回して眺めたり、ホイールでズームイン・アウトしたり。画面下方にある「高さ方向の倍率」の数値を変えると高さ方向が強調され、地形の特徴が直感的に理解できる。作成した3D地図はSTLVRMLWebGLの各フォーマットでダウンロードができるので、3Dプリンターで立体模型も作成可能である。仮想世界と現実世界の行き来、是非お試しを。

ルートと参考文献
比叡山坂本駅++<徒歩>++【坂本城跡】++<徒歩>++松ノ馬場駅—<京阪石山坂本線>—坂本駅++【日吉大社】++<徒歩>++【滋賀院門跡】++比叡山坂本駅—<JR湖西線>—堅田駅++<徒歩>++【居初氏庭園】++【浮御堂】++【湖族の郷資料館】++【出島の灯台】++<徒歩>++堅田駅(19.7km)

[1] 井上靖,比良のシャクナゲ・霧の道 (井上靖小説全集第3巻),新潮社
[2] 国土地理院地理院地図3D:http://cyberjapandata.gsi.go.jp/3d/
[3] 国土地理院地理院タイル:http://portal.cyberjapan.jp/help/development.html

f:id:fukuda040416:20191022110330j:plain

大阪府建築士事務所協会誌「まちなみ」5月号)