市営竹瓦温泉。別府のシンボルともいえる。
格式高い外観。入母屋造りと寄せ棟造りの変化に富んだ母屋の屋根と、玄関にかけられた唐破風造りの屋根とが、さまざまな表情を演出している。
別府が国際観光都市として有名になったのは、「別府観光の父」と呼ばれる油屋熊八(1863-1935)の功績が大きい。
彼は明治44(1911)年に別府に来て以来様々な新しい試みを行った。日本初のバスガイド(昭和3(1928)年)、地獄めぐり、温泉マーク、さらに別府の奥座敷としての湯布院の開発もこの方の発案らしい。
http://www.city.beppu.oita.jp/03gyosei/02egyosei/07info/old_special/special1408_1/
http://www.atkyushu.com/InfoApp?LISTID=202&SCD=m199811
別府は第2次世界大戦で空襲を受けていない。当時、別府は温泉地としては既に有名であり、戦後アメリカ軍が保養地として使用することを計画していたからだ。
そのため古くからの商店街や路地が現在も残っており、地元の竹瓦倶楽部が中心となり「竹瓦界隈路地裏散歩」が行われている。
■竹瓦温泉入り口。読めます?
■温泉全景。手前はガス灯。
■竹瓦小路。竹瓦温泉の向かいにある。温泉上がりに飲むビールは最高。