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マチュピチュの見張り小屋から。

マチュピチュの名前は、山の名前から「老いた峰」を意味するが、遺跡の元の名は依然分かっていない。世界的にも美しいといわれる石造建造物群は、1911年北米探検家ハイラム・ビンガムにより発見された。まさに神と人間の「空中都市(スカイ・シティ)」だ。インカの人々はスペイン人から逃れるため、あるいは復讐の作戦を練るために、1万人の人々が生活する都市を作った。マチュピチュは、スペイン人たちに一度も攻撃されていないのだが、ある日インカは自らこの町を焼き、奥のジャングルへ逃げていったと見られる。

マチュピチュは麓から一気に400m上った、標高2280mの山の頂にある。最初に紹介した、この見張り小屋からの風景が最も有名だろう。見張り小屋は街の最も高い場所にある。

マチュピチュは、総面積約5km2。インカ時代以前より存在していたとされる。スペイン人征服後、インカの首都クスコやほかの町が破壊された中、マチュピチュはインカの建築様式が手付かずに残されている貴重な遺跡。

マチュピチュは、農業区域と住居区域に分かれる。建造物群の南側(写真手前)にある農業区域は段々畑が広がる。また居住区域は、儀式的な特徴をもつ建物や、太陽の神殿、王の宮殿、聖なる広場の北側の北のピラミッドの上にはインティワタナがある。背後の山はワイナピチュ(若い峰)。左側には石造建造物群も支える役目を果たす段々畑が見られる。また中央には大広場があり、その左にインティワタナ(後日詳述)のピラミッドがある。