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都市とITとが出合うところ 第16回 醍醐×バーチャル都市モデル

大阪府建築士事務所協会誌「まちなみ」で連載中の「都市とITとが出合うところ」。第16回となる旅は逢坂から醍醐へ。ITはバーチャル都市モデルをご紹介します。

PDF: http://y-f-lab.jp/fukudablog/files/1507machinami_FukudaFinal.pdf

逢坂へ
 京都・山科駅でJRから京阪京津線に乗り換える。JR線はここから逢坂山トンネルに入り、滋賀県大津市に抜けるのだが、京津線は地表を進む。追分駅を過ぎたころから、両側の山々が迫ってきて、国道1号名神高速道路ともども狭い谷に集約されていく。かつての逢坂関、大谷駅で下車。逢坂関は、百人一首でも2つの歌で、「これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関(蝉丸)」「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも 世に逢坂の関はゆるさじ(清少納言)」と詠まれた、歴史上の要地である。

 蝉丸神社にお参りしてから、東海自然歩道に入り、音羽山を目指す。東海自然歩道は、東京・八王子「明治の森高尾国定公園」と大阪・箕面明治の森箕面国定公園」を結び、東京都・神奈川県・山梨県・静岡県・愛知県・岐阜県三重県滋賀県奈良県京都府大阪府の1都2府8県にまたがる全長1697.2kmの自然歩道である [1]。訪問時は、2013年台風18号から1年半以上が経過していたが、当時の豪雨を受け、一部が依然通行止め、または、工事中であった。

音羽山
1時間半ほど東海自然歩道を上り、音羽山に着いた。山頂は標高593.1m(逢坂関との比高431.3m)。西に京都市内、真正面に比叡山、東は琵琶湖や大津。眺めがパノラマビューで広がる。和歌「秋風の吹きにし日より音羽山 峰の梢も色づきにけり(紀貫之)」と詠まれた。発見したことを2つ。ひとつ目は、音羽山頂の直下に長さ5kmもの音羽山トンネルが走り、そこを東海道新幹線が通っていること(図1)。もうひとつは、京都北部や湖西方面からの送電線が南部へ抜ける送電線銀座であること。そのため、数多くの鉄塔が並んでいた。



図1 音羽山より京都

 音羽山から南下して牛尾観音(宝厳寺)に立ち寄り、高塚山(標高485.0m)から横嶺峠を経て、上醍醐を目指そう。音羽山頂から南下して牛尾観音に向かう途中、琵琶湖から瀬田川に流れ出す素敵な風景に出合う(図2)。牛尾観音に着くと本堂の谷側がごっそり崩れてしまっており、桜の馬場まで続く石段は復旧工事の真っ最中であった。さらにそこから高塚山へ向かう山道は、倒木や地面がえぐれた箇所が断続的にあり、注意が必要であった(図3)。一方、人の出入りが少なくなった山道では、シダやコケが生き生きとしていた(図4)。


図2 東海自然歩道より大津


図3 高塚山登山道


図4 瑞々しいコケ

醍醐寺
 高塚山から横嶺峠に向かう途中、それまで森だった山道の視界がぱっと開け、西方面が臨めた。山科が盆地である様子、その向こうの三川合流付近では天王山と男山がせり出して、逢坂同様狭くなっている様子がよくわかる。

 横嶺峠からいよいよ上醍醐へ。豊臣秀吉の醍醐の花見(1598年3月15日・新暦4月20日)で有名な醍醐寺は、弘法大師の孫弟子、理源大師・聖宝によって創建された。醍醐山の山頂(上醍醐)と麓(下醍醐)に分かれて堂塔が配置されている。醍醐とは『「甘、酸、鹹(塩味)、苦、辛」の五味の中で、牛乳や羊の乳で作ったもっとも美味なもののことで、すなわち甘いクリームをいった。それを仏教に置き換えると、醍醐とは仏法が心の糧として最高であることを意味する言葉 [2]』である。

 まず開かれた上醍醐には、醍醐寺発祥の霊泉・醍醐水、豊臣秀頼が再興した開山堂、如意輪堂などがある(図5)。准胝観音堂は2008年の落雷による火災により焼失してしまった。開山堂、如意輪堂は大坂で作って木材を運び、標高450mの山頂で組み立てたものとされる。



図5 上醍醐・開山堂

 上醍醐から下醍醐へは1時間ほど、2.6kmを下ることになる。途中、不動の滝で休憩を取り、秀吉が醍醐の花見で御殿を建てたとされる槍山に出合う。醍醐の花見は1000人を超す一大イベントであり、てっきり下醍醐で行われていたと思っていたが、こんなに山の中だったとは。花見当日、秀吉らは「あらためてなを可えてみむ深雪山 うづもる花もあらはれにけり(太閤秀吉)」をはじめ、多くの和歌を短冊にしたため桜の枝に吊り下げた。当時はこの千畳敷から下醍醐の伽藍や桜が見事だったとされるが、現在は、雑木林で周りは見渡せず、立ち入り禁止ロープが張られており、味気ない風景となっていた。

 下醍醐に着いた。五重塔は951年に完成した、京都府下最古の建造物(図6)。醍醐寺で唯一、創建当時の姿をとどめているそうだ。バランスが素晴らしい。


図6 下醍醐五重塔

バーチャル都市モデル
 コンピュータ上で都市を眺めるためのバーチャル都市の整備が進む。バーチャル都市は都市計画、景観、交通、観光などの分野で期待されている。代表例はGoogle社のGoogle Earthであろう。Google Earth は2005年にリリースが開始されて現在はver.7.1である。上位クラスのGoogle Earth Proは有料であったが現在は無料化された。また、Google Earthをインストールしなくても、Google Mapの航空写真機能自体がGoogle Earthになりつつある。

 地域により差はあるものの、地形や建物や緑を含む3Dの立体都市が、衛星・航空写真や建物ファサード写真付きでリアルに表示され、ユーザはインタラクティブにナビゲーションできる。一方、Google Earthは、地面レベルが十分に表現されていない。地面レベルで都市景観を3Dモデルでリアリティに表現すると結構な入力工数とデータ量を要してしまうためであろう。その代わりに、別途リリースされている、Google ストリートビューを3Dモデルとシームレスに切り替えて表示できる。Google ストリートビューは、360°パノラマ写真を道路上で連続撮影してあるため、地面レベルではパノラマVRの体験ができる。尚、Google Earth Proは、現在の交通量の表示やGISファイルの読み込みも可能である。

 また、バーチャル都市を描画するためのコンピュータは、テキストや画像と比較すると高い性能が要求されるし、インターネットで通信するデータ量も大きくなる。そのため、デスクトップPC・有線LANで利用が始まったが、現状は、スマホタブレットなどのモバイル・無線LANでの利用も可能になってきた(図7)。


図7 Google Earth on iPhone

 Google社が提供するバーチャル都市データやサービスを閲覧するだけでなく、ユーザがGoogle Earthにもっと参加する方法としては、ユーザが撮影した写真を撮影地点にアップしたり、ユーザがSketchUPで作成した建物等の3DモデルをGoogle Earth上に配置して景観検討を行うことができる。

 筆者の使い方を紹介しておこう。まず、本稿を執筆するために現地調査したルートをGoogle Earth上に記録して、ルートの距離や高低差を確認している(図8)。これは、活動記録ツールとしての使い方であり、執筆する際に現地の行程や状況を思い出しやすくなった。この作業は本来、調査中に自動記録したいところだが、バッテリーと記録精度を心配しており、現状は調査終了後にGoogle Earthの定規ツールで記述している。撮影した風景写真と、同じ視点場からのGoogle Earthを見比べると、バーチャル都市はよく再現できていると実感する。他の使い方としては、SketchUPで作成した建物モデルとGoogle Earthから切り取った地形をVR/AR(Augmented Reality)オーサリングソフト・Unityに取り込んでARコンテンツを作成し、HMD(Head Mounted Display)を装着して、過去や未来をAR体験するものである(図9)。


図8 醍醐ルートの高低差表示


図9 姫路城AR体験

 このように、一般ユーザが身近なアプリや機材を使ってバーチャル都市を眺める環境が整ってきた。今後の発展が楽しみである。

ルートと参考文献
大谷駅++<徒歩>++【音羽山】++【牛尾観音】++【高塚山】++【上醍醐】++【下醍醐】++【奈良街道】++【牛尾観音】++六地蔵駅(14.4km)


[1]東海自然歩道http://www.tokai-walk.jp/ (参照2015年5月9日)
[2]楠戸義昭:醍醐寺の謎,祥伝社黄金文庫,2003.

大阪府建築士事務所協会誌「まちなみ」2015年7月号)

キーワード:まちなみ,逢坂,音羽山,牛尾観音,高塚山,上醍醐下醍醐,奈良街道,バーチャル都市,Google Earth

都市とITとが出合うところ NAVERまとめ

都市とITとが出合うところ(1〜15回)