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都市とITとが出合うところ 第1回 近江八景@大津

大阪府建築士事務所協会誌「まちなみ」で、都市・建築とITについて寄稿させて頂くことになりました~自由気ままな企画ですが、大阪から出かけられる日帰り旅を基本として、事前準備をしっかりとして確認する旅ではなく、ふらっと現地で出会う旅をしながら、色々と考えてみたいと思います。何年続くかわかりませんが、今年は1年間、琵琶湖をぐるっと回ってみようかと思います。今回は、近江八景@大津を。

PDF: http://y-f-lab.jp/fukudablog/files/1404machinami_FukudaFinal.pdf

都市とITとが出合うところ 第1回 近江八景@大津

都市とITとが出合うところ
建築・都市とIT(情報技術)とは一見遠く離れた別々の分野のように思えなくもない。しかし、情報社会の時代となり、建築・都市とITとは、計画、設計、施工、運用の各フェーズにおいて、互いの存在をますます無視できなくなっている。本連載では、都市とITとの両者が出合うところや課題について、魅力的な国内外の各地をぶらりと街歩きしながら考えてみよう。

大津へ
近江八景は、瀟湘八景を手本として、三藐院信尹が琵琶湖周辺の景勝の地を撰んで発案したとされる。歌川広重による浮世絵を通じて、庶民にまで広く浸透したといわれる。瀟湘八景は、中国湖南省の瀟水と湘水の流れを集める洞庭湖周辺の8つの名所のことである。近江八景と瀟湘八景との関係を表に記そう。石山秋月から順に、緯度の低い方(南)から高い方(北)に並べてある。今回は、滋賀県大津市に点在する近江八景を公共交通を使いながら巡ってみたい。

季節|近江八景(場所)|瀟湘八景
秋|石山秋月(石山寺)|洞庭秋月
春|瀬田夕照(瀬田の唐橋)|漁村夕照
春|粟津晴嵐(粟津ケ原)|山市晴嵐
夏|矢橋帰帆(矢橋)|遠浦帰帆
春|三井晩鐘(三井寺)|煙寺晩鐘
夏|唐崎夜雨(唐崎神社)|瀟湘夜雨
秋冬|堅田落雁(浮御堂)|平沙落雁
冬|比良暮雪(比良山系)|江天暮雪


石山秋月
JR石山駅で京阪石山坂本線に乗り換え、石山寺へ。石山坂本線は2両編成で市民生活の貴重な足。大津のまちなかをうねうねと走る。石山寺駅から10分ほど歩いて東大門に到着。仁王さんに睨みをきかされながら山門をくぐり梅が咲きはじめた境内へ。境内には奇岩・硅灰石がよこたわり、文字通り「石山」の様相。本堂は京都・清水寺と良く似た構造で、斜面の上に柱梁が組まれており、本堂前の巨大な硅灰石群と建築は自然になじんでいる。紫式部源氏物語の構想を練った地、鎌倉時代初期に完成した日本最古の多宝塔、淀君による伽藍の再興、芭蕉の句碑と、石山寺が接してきた長い歴史を感じさせる。「石山秋月」のシンボル、月見亭は瀬田川の清流を見下ろす高台にある(図1)。訪問時は春・新月・昼間と、秋月とは真逆の設定となってしまった。また来なければ。

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図1 石山寺の月見亭

瀬田夕照
石山寺山門前からバスに乗り、2駅目の唐橋前駅で下車。目の前の通りは旧東海道。社員旅行風の団体が近江牛「松喜屋」さんに入るのを横目に見ながら、瀬田の唐橋へ。唐橋は、織田信長により現在の位置に移され、中之島を経由して大・小2つの橋が架かる。唐橋の架かる瀬田川は琵琶湖から流れ出す河川で、宇治川、淀川と名前を変えて大阪湾に流れ込む。淀川水系は琵琶湖を含め、琵琶湖に流入する河川や、山崎付近で三川合流する木津川、桂川も含む。そのため、淀川全体の支流数は965本と、大河で有名な信濃川利根川よりも多く、なんと日本一である。地図を広げると、瀬田の唐橋付近は琵琶湖のつけ根に位置し、琵琶湖を胃に例えるならば唐橋は十二指腸の辺りとなる。また、近江大橋国道1号線名神高速道、京滋バイパス東海道線、新幹線など日本の大動脈が連ねる交通の要衝であることがわかる。話が横道にそれたが、瀬田の唐橋に向かおう。唐橋に出会って驚いたのは、橋のむくりがかなり大きく、龍の背中のようにかなりうねって見えることである。そのため、車も自転車も歩行者も龍の背中を歩いているようだ。むくりの程度はといえば、中之島にいる歩行者はほとんど見えない位(図2)。

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図2 瀬田の唐橋

粟津晴嵐
唐橋から瀬田川沿いに琵琶湖に向かって歩く。明らかにマラソン選手らしい外国人がジョギング。そういえば明日はびわ湖毎日マラソンだった。東海道本線の高架を抜けると、川幅は急に広がり、琵琶湖に辿りついた(図3)。鳰や雁が湖面に浮かんでいる。粟津の晴嵐とは、旧東海道沿いにある多数の松並木が晴れた風の強い日、嵐のように枝葉がざわめく様子を表したもの。かつての松並木は、粟津中学校前の曲がりくねった旧東海道沿いに残された数本といわれる。隣接する工場も敷際に松が植えられ、かつての風景を偲ばせる(図4)。この地に残る「晴嵐」という町名が何とも好きだ。近年では、湖岸道路沿いのなぎさ公園に粟津晴嵐の復活を祈念して松の植栽が進められており、将来が楽しみである。

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図3 河川管理境界

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図4 晴嵐中学校前

三井晩鐘
旧東海道を北上し、瓦ヶ浜駅で再び京阪石山坂本線に乗る。瓦ヶ浜駅のホームは線路がカーブしている敷地にあるためホーム幅が曲線で削られかなり先細り。電車に乗り、膳所、そして浜大津を過ぎると電車は車道に出た。ここからは路面電車となる。三井寺駅で下車、京都への導水路として作られた琵琶湖疏水を脇に見ながら園城寺三井寺)へ。天台寺門宗総本山の境内はさすがに広い。「三井晩鐘」で親しまれている梵鐘は二代目。初代「弁慶の引摺り鐘」の跡継ぎとして、豊臣家による三井寺再興の一環で鋳造された。この鐘は、形の平等院、銘の神護寺とともに「音の三井寺」として日本三銘鐘のひとつに数えられる。こんなに有名な鐘であるが、何と、撞かせてもらえる。「ぐぉーん」確かに奥深い音色(図5)。梵鐘の前に建つ大きな建築は、金堂。豊臣秀吉の夫人・北政所により1599年に建てられた。金堂内部をぐるりと歩いてみたが実に壮大な構造体。完成後、415年経った今日まで、一度も解体されることなく建ち続けているそうである。

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図5 三井寺の晩鐘体験

唐崎夜雨
三井寺の隣にある歴史博物館の見学を終えると雨が降ってきた。日没の時間も近づいており街歩きは之までと考えていたが、思い立って唐崎の夜雨へ。京阪石山坂本線別所駅から皇子山駅へ一駅、そこからJR湖西線に乗り換えて、唐崎駅で下車。駅を降りると比叡山がぐっと間近に迫る。夜雨を期待してやって来たのだが、唐崎神社に着く頃には雨は上がってしまった。それでも、唐崎神社の立派な老松に出会えてよかった(図6)。樹齢200年の三代目。二代目は何と1591年に植えられ1921年まで330年も存在したんだとか。さらに絶えることのないよう、四代目の準備が始められていると聞いた。ぼちぼち辺りが暗くなってきた。広重が描いた頃には出会えなかったであろう、大津の夜景がまばゆい。

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図6 唐崎神社の老松

おわりに
街歩きに必須のツールといえば地図。観光案内所などの現地で入手する紙版の地図は近年充実してきた。電子版であれば、マピオンGoogleマップ等の商用地図の他、国土地理院地理院地図[1]も整備されてきた。個人的なお勧めは、地理院地図の上で過去の航空写真をオーバーレイして眺めてみること。こうすれば、当時の土地利用や街並みの状況がわかり、さらに異なる年代の写真に切り換えることで地区の変容を読み取ることができる。今後、スマートフォンタブレットなどの携帯端末上でPC版並みの機能充実が期待される。次に、筆者は歩いたルートを地図上に記録して自分紀行の備忘録にすることが多い。相変わらず赤ペンで紙地図の上に書き込むことが多いが、最近は電子地図上に移動した軌跡を自動的にプロットしてくれるアプリも登場してきている。但し、GPSサービスを使用すると電池の消耗が早くなるのでご注意を。
今回は、近江八景のうち、石山秋月、瀬田夕照、粟津晴嵐、三井晩鐘、唐崎夜雨と五景を街歩きしてきた。残り三景は次回以降にでも。

ルートと参考文献
京阪石山駅–<京阪石山坂本線>–石山寺駅石山寺石山寺山門前駅**<京阪バス>**唐橋前駅【瀬田唐橋】++<徒歩>++【粟津晴嵐】++<徒歩>++瓦ヶ浜駅–<京阪石山坂本線>–三井寺駅三井寺別所駅–<京阪石山坂本線>–皇子山駅/大津京駅–<JR湖西線>–唐崎駅++<徒歩>++【唐崎神社】(19.4km)
[1] 国土地理院地理院地図:http://portal.cyberjapan.jp/

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大阪府建築士事務所協会誌「まちなみ」4月号)